meeting with remarkable people [102]
パラケルスス
1493-1541


あなたはパラケルススをご存じだろうか?
ルネサンス初期のスイス人の医師で、彼の名は、
医学、錬金術、オカルティズムなどの分野で知られている。
パラケルススこと
テオフラスト(フィリップ)・ボムバスト・フォン・ホーエンハイムは、
1493年スイス北部のアインジーデルンにある、
「悪魔の橋」とよばれる橋畔の、とある農家に生まれる。
父の名はウィルヘルム・ボムバスト・ホーエンハイムで、
騎士貴族出身の医師。母は若くして亡くなっており、教会隷民だった。
幼少時代、当時植物学に関心を寄せていた父の影響から、
自然哲学に関心を持ったとされる。

彼の思想はマクロコスモス(大宇宙)と
ミクロコスモス(小宇宙)の対応が中心だ。
彼の持つ好戦的な性格や後年のアルコール嗜癖、
放浪癖は父にそっくりだったという。
また、母の属する修道院の内部で、
巡礼の際に訪れる様々な民族の風俗や習慣を見聞した。
母は精神を患っていたとされる説もあり、
彼の患者に対する同情的、共感的な姿勢は
その影響もあるとも考えられる。

1502年、母の死をきっかけに、
父とオーストリア南部のフィラッハに移住。
ベネディクト派の修道院において、
後年の思想の基礎となる知識を学ぶ。
1512年、イタリアのフェラーラ大学医学部に入学、
ここからドイツ、イタリア、フランスの各地の大学をまわり、
医学の基礎を学んでいく。
この時期フランス病(梅毒)の権威・マナルディの講義をきく。
このフランス病についての著作はパラケルススの代表作のひとつだ。

その後フェラーラを去り、放浪生活をおくる。
その間、多くの貧しく病める人々と出逢い、
また、医学の研究に励んだ。
医学博士からだけでなく、理髪師、温泉主、
産婆、魔術師、修道院僧など、身分も腕も関係なく、
あらゆる人間からあらゆるものを学ぶが、多くの挫折も経験する。
ただ、どんなに医学の道を諦めようとしても、
また連れ戻されてしまうのは、それが彼の宿命だったからかもしれない。

1520年、北ヨーロッパにおいて、デンマーク軍従軍医として、
対スウェーデン戦争に参加。
デンマークでは多くの熱病患者を救い、
40種類もの病気を治したと言われる。
タタールで捕虜として囚われることも経験。
その際タタールの王子に同行し、
コンスタンチノープル(現イスタンブール)を訪れ、
賢者から「哲学者の石(賢者の石)」を手に入れたという。
錬金術とオカルトの都、エジプトのアレクサンドリアにも立ち寄ったとされる。

1524年、フィラッハに戻り父に再会し、
ザルツブルグに定住することを決意するも、
農民戦争に巻き込まれてしまう。
その後、ザルツブルグを去り、再び各地を巡ることとなる。
その旅の中で、彼は処世術に長けていなかったためか、
医師団との衝突や、治療報酬を得られないなどの
不当な扱いを繰り返し経験する。

1526年、シュトラスブルグ市(現在はフランス)に入り、
バーゼル大学医学教授兼市医にまねかれて、バーゼルに移住。
大学で地位を得るも、自らの主張のため『医学典範』を焼き、
旧医学に宣戦布告。結果、バーゼルを追われる。

その後各地を転々とし、神学の領域にも踏み込む。
1529年、当時猛威をふるっていた梅毒の治療法の真実性を求め、
ライプチッヒ大学に対立を起こした後、
アルプス地方に隠棲。
その後は鉱夫病、ペストの研究などを続け、数多くの著作を残す。
1540年、ザルツブルグで最後の医療活動を行い、
1541年9月24日、旅籠「白馬亭」で最後を遂げた。

彼は生涯で多くの医学に挑戦し、多くの患者を救った。
医学の真実と道徳を求め続けた彼の功績は計り知れないほど大きい。




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