meeting with remarkable people [103]
ミヒャエル・エンデ
1929-1995


世界30ヶ国以上で訳され、
年齢の枠を超えた読者を惹きつける
児童文学の名作『モモ』『はてしない物語』。
作者ミヒャエル・エンデは、子どものような純粋さで
常識を根源から問い直しつづけ、
作品のなかに重層的な意味を織り込んだ。
人々のイマジネーションを育む豊かなファンタジー、
そして、現代社会への鋭い警鐘。
エンデの作品には、読むという行為を越えて、
語り手と読み手とで物語を完成させていく生きた体験がある。

エンデは創作活動の初期から、
現代の貨幣システムがもつ問題に着目していた。
それは増殖しつづけるお金が、利が利を生み、
格差が格差を生むという負のサイクルをもたらし、
多くの弊害を生んでいるということ。

彼は、自由貨幣の理論を唱えたシルヴィオ・ゲゼル、
そして、書斎に全集を並べ、
40年以上向き合いつづけたルドルフ・シュタイナーという
二人のドイツ人思想家に大きな影響を受け、
“エイジング・マネー(老化し、消えてゆくお金)”や
“時間とともに減る利子”という
新しい仕組みに未来の可能性を見出していた。
時間どろぼうを描いた代表作『モモ』の背景には、
お金の正体を巡る、長年のエンデの思索が流れている。

1929年、ミヒャエル・エンデは
南ドイツ・バイエルン州に生まれる。
父は、シュタイナーなどの東西神秘思想に親しみ、
神話的な絵画を描くシュールレアリスム画家であった。
第一次大戦後のハイパーインフレや
世界大恐慌に苦しむドイツで、
経済的に安定しない貧しい幼少期を過ごす。

10歳の頃、第二次世界大戦が勃発し、生活状態はさらに悪化。
1945年、16歳の時、受け取った召集令状を破り捨て、
その後、反ナチス運動に参加し、伝令として活動する。
終戦後、シュタイナーの思想に基づく
「キリスト者共同体」の集まりに出会う。
知人の援助でシュトゥットガルトの
シュタイナー学校に転入するものの、
演劇に傾倒し、卒業を待たずに退学。
奨学金を得て、演劇学校に通う。

卒業後は劇団に採用され、
俳優として各地を旅してまわる傍ら、自作の脚本を書く。
その後、劇団を去り、シナリオや映画評を書く
フリーライターの仕事でかろうじて生計を立てる。

28歳の頃、街で偶然出会った同級生から
絵本の執筆を依頼されたのをきっかけに、
『ジムボタンの機関車大冒険』を書きあげる。
完成から2年後、ようやく出版が決まる。

32歳の頃、7ヶ月の家賃滞納により
訴訟を起こされ悩んでいたエンデのもとに、
『ジムボタン』が児童文学賞を受賞したとの連絡が入る。
その賞金額は必要としていた金額と同額だった。
見えない精神世界の実在を確信していた彼の人生には、
窮地に立たされた時に
思いがけない助けが入ることが度々あったそうだ。

受賞を機に、経済的などん底状態から脱け出し、執筆に専念。
35歳で、俳優時代からつきあいのあった
女優インゲボルク・ホフマンと結婚。

42歳で南イタリアに移住し、
1973年に『モモ』、1979年に『はてしない物語』を書きあげる。
54歳の時、父に捧げる短編集『鏡のなかの鏡』を
10年以上かけて完成。
翌年、愛妻に先立たれ、
15年間暮らしたイタリアを離れてミュンヘンに戻る。

親日家であったエンデは、何度も来日し、
能や歌舞伎、弓道、禅などから、
物語の構想に強い影響を受けていたという。
そして60歳で、
『はてしない物語』の訳者である佐藤真理子と再婚。
1995年、65歳でガンが見つかり、
同年8月28日、ドイツ、シュツットガルトの病院で息をひきとる。

エンデは、外なる世界と内なる意識は、
コインの裏と表のようにつながり合う、
ひとつのものだと捉えていた。
鏡のように読者を映しだす彼の物語は、
人々の内なる力を回復させ、新しい意識を呼び覚ます。
子どもだましでも、逃避でもない、
真のファンタジーがもつ力とは、
日常という外側の世界で、創造力を働かせ、
健やかに生きる術を与えてくれるものなのかもしれない。




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