meeting with remarkable people [106]
スティーブ・ジョブズ
1955-2011


「自分は世界を変えることができると考えるほど
十分にクレイジーな人たちが ほんとうに世界を変えるのだ。」
と『アップル宣言』で語られている通り、
世界の価値観を一変させた人物、スティーブ・ジョブズ。
人とは違ったレイヤーで物ごとを捉え、
つねに異端者でありつづけた彼の生涯を辿る。

1955年カリフォルニア州に生まれ、
3歳でポール・ジョブズ夫妻のもとに
養子縁組で引き取られる。
機械いじりが好きな養父の影響もあってか、
幼い頃からエレクトロニクスに興味を示していた。

生来の反骨精神から、
教師に逆らい停学処分になることも度々であった。
1968年、一家の引越先ロスアルトスで、
後にApple社を共同設立する
スティーブ・ウォズニアクと出会い、
2人はコンピューター作りに没頭する少年期を過ごす。
思春期に入ったジョブズは人生の意義を探し求め、
古典文学を読み耽り、マリファナやLSDなど
70年代カウンターカルチャーの洗礼を浴びる。
1972年に自由な校風のリード大学に進学。
その後も禅や東洋の神秘主義にますます傾倒していった。
1学期で大学を中退するが、
その後もキャンパスの学生寮に住みつづけ、
裸足で校内を放浪、
興味のある授業だけを聴講して過ごしていた。

1974年18歳で両親の元へ一旦戻ったジョブズは、
当時、急成長していたゲームメーカー、
アタリ社の門前で
「雇ってくれるまで帰らない」
と坐り込み、職を得る。
その後、導師を求めインドに旅立つが、
貧困に苦しむインド社会の実態に失望し、帰国、
再びアタリ社で働き始めた。

1976年、ウォズニアクとともに
自宅でApple社を立ち上げ、
ホームコンピュータ「AppleT」の販売を開始。
翌年にはマイク・マークラも加わり、
次作「AppleU」が爆発的な人気を呼び、
Apple社は業界で大きな注目を集める。
1984年には長年の苦労の末、「Macintosh」を発売。
しかし予想ほど売り上げが伸びず、過剰な在庫を抱え、
Apple社は資金繰りに苦労する。
そして翌年、経営上の意見の相違などから、
他の役員たちとの間に軋轢が生まれ、
自身がつくったApple社を追い出されるように
退職することになった。
「解放され、人生の中で最も創造的な時期を迎えた」
というジョブズは、NeXT社を創業、
1986年にはピクサー・アニメーション・スタジオを設立した。
1996年、NeXT売却と同時に
当時業績不振に陥っていたApple社に返り咲くと、
スケルトンでカラフルな外観の「iMac」を発表、
Apple社と同時に自身の復活を印象づける。
その後も明確なヴィジョンによって「iTunes」、
「iPod」、「iPhone」など
次々と革新的な製品を生み出した。
これらの製品によってApple社は
「コンピューターの会社」以上のものへと
大きな変貌を遂げたのだった。

CEOとしてのApple社からの年間報酬は
社会保障取得のための1ドルのみ。
理想とするヴィジョンが実現するまでは、
絶対に製品にOKを出さなかったジョブズ。
ユニークな生き方で、未知の活躍を期待されながら、
2011年10月5日、56歳、
膵臓がんによって自宅で息を引き取った。

大きな成功を掴んだかと思えば、
どん底にまで落ち込み、
しかしまた、型破りな形で再度復活する激動の生涯。
それを可能にしたのは、
生まれもっての特異な才能と、強靭な意志、
そして、ジョブズのイマジネーションを形にする
多くの人々の存在があったからに他ならない。
常識に反抗し、抵抗し、破壊するという「狂」の世界を生き、
ヴィジョンを前進させ続けたジョブズの存在は、
スタンフォード大での講演で引用した、
「stay hungry, stay fool」と共に輝きを放ち続ける。



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