meeting with remarkable people [108]
ロバート・ヘンライ
1865-1929


画家、そして美術教師として活躍した
ロバート・ヘンライが使用していたノートや、
生徒に宛てた書簡などをまとめた
美術講義録である『アート・スピリット』。
刊行されたのは100年も前だが、
今でもなおディヴィッド・リンチなど世界中のアーティストに
芸術指南書として読み継がれている。
時代を超えて芸術家の魂を揺さぶり続けるこの本を生みだした
ロバート・ヘンライとはどんな人物なのであろうか。
彼の生涯を辿ってみよう。

1865年6月24日、オハイオ州シンシナティで、
アメリカ人父母のもと、ロバート・ヘンリー・コザトとして生まれた。
知略と商才に富む父のおかげもあり、
比較的裕福な幼少時代を送る。
1882年、17歳の時、父ジョンが銃殺事件を起こし、
指名手配となってしまったため、
ヘンリー一家は祖母の家に逃亡する。
家族会議で全員の変名が決定し、
ロバート・ヘンリー・コザトは、
ロバート・ヘンライとして新しい人生を歩むことになる。
青年にとっては大きすぎる衝撃とストレスだったが、
このころから彼は画家になることを夢見ていた。

1886年、21歳の時、ヘンライは美術の道に進むことを決断すると、
名門ペンシルヴァニア・アカデミーに入学し、
アメリカ近代美術の父と評される画家、T・イーキンズに出会う。
アカデミズムから逸脱し、
革新的な作品を生み出す彼の真摯な姿がヘンライの魂を洗練させ、
芸術精神の自由を目指し、権威主義に屈しない姿勢が生まれた。

1897年、母校のペンシルヴァニア・アカデミーで最初の個展を開く。
パリの風景画や肖像画等、八十七点の油彩を展示。
色彩・筆致そのものを強調した印象派に近い作風の絵は、
売れはしなかったが地元の新聞には好評だった。
それどころかヘンライの作品を高く評価し、
世に送りだす大きなきっかけとなる人物まで現れた。
ニューヨークで私塾を運営していた、W・M・チェイスである。
ニューヨーク美術界では輝かしい存在の彼から私塾での個展開催を勧められ、
ヘンライは32歳にしてようやく、美術界での本格的なデビューを果たした。

33歳の時、元教え子と結婚。
ハネムーン先のパリ滞在中にサロンで初入選し、
フランス政府が作品を買い取るなど、ヘンライの名が広く知られるようになる。
1900年にアメリカに戻ると、美術教師として勤めはじめる。
言語によるコミュニケーションにも優れ、
人を惹きつける不思議な魅力を持つ彼の下には多くの学生が集まった。
1902年にチェイスに請われて、ニューヨークの美術学校で教鞭を執る。
実力を持ちながらも、業界では異端児扱いされていたヘンライだったが、
チェイスに認められたことによってその名声は一気に高まった。

1908年に開催された〈ジ・エイト〉展に参加。
アメリカ全土を巡回したその展示は、
アメリカ美術史上空前の成功を収め、ヘンライの名声は最高潮に達した。
そして、1923年、58歳の時、元教え子の熱心な勧めで、
彼が見出した芸術の本質・人生の本質を詰め込んだ本として
刊行されたのが『アート・スピリット』である。
権威や流行に惑わされず、自由な表現者であり続けたヘンライ。
教師としても芸術への惜しみない献身と情熱を持ち続け、
芸術に取り組む上での姿勢、そして生きることとは何かを説き続けた。
そんなヘンライの人生にはまさしく、
「アート・スピリット」が溢れていたのだろう。




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